研究日誌

楽しくないことはしたくないなぁと本気で毎日思っている

小休止

優秀な人は自分でアドレナリンを生成するらしい.2年くらいやっていた研究が予算上の研究期間を1年ぐらいのこしてひと段落してしまった.いくつか残課題はあるものの,ホログラフィをやりたいと言ってくれた学生たちに振ってしまったので,作業ベースでのタスクはなくなってしまった.少しアドレナリンが不足しているのは否めない.

 

あるにはあるのだろうけど,始めたころの高いモチベーションが陰ってきてしまっている,といった方が正しいか.加えて,予算年度最後ということで,次の予算獲得のためにネタの精査と予備実験をしなければいけなく,そちらの方に行動がシフトしつつある.ただ,こちらの方はまだ暗中模索といったところで,すぐにアドレナリンが噴出するような状態にはない.

 

こういう時はゼロベースで自由奔放に研究を考える時間に充てるのが良いと思っている.ただ最近はこういう時間を取ることに勇気がいる.アカポスももう4年目で,だんだんと仕事感が出てきたのもあって,ペンディングの論文執筆や開発作業が無いと変な不安に襲われる状態になりつつある.一方で,Drに入りたての頃や,今のプロジェクトを始めたときみたいに,自由奔放な考えから生まれるものがこれまで成果になってきているので,大事にしないといけないのは間違いない.

 

幸いに前期は授業負担もそれほどなく,学会仕事などもコロナ影響もあって少なくなっているようなところもあって,結構自由時間が多い.科研費の応募〆も10月ぐらい(?)だったので,まだ余裕がある.なので,当面は自由な発想に充ててもよいのだ,いや,充てるべきなのだと自答を繰り返そう.文章化したのはそういう意味も込めて.

 

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閑話休題,大変ありがたいことに,都立大(首都大)に赴任してからの4年間,途切れず私のテーマをやってくれる学生がついた.テーマを考えることの大変さも同時に実感しているが,今のところは学生の皆さんが高いモチベーションで一生懸命やってくれている.繰り返しになるが,大変ありがたい.毎年のことだが手を挙げてもらえるのはこの上なく嬉しく,今年はわかった日に少しお高いスイーツを買って帰った.カロリー含め過分な贅沢だったが,そのくらい嬉しかった.

 

Twitterで一方的にフォローしている見ず知らずの先輩教員がつぶやいていたが,学生に与えるテーマは教員がやれば2週間で終わるようなものだ,だそうだ.あながち間違いではないが,少し言いすぎかなと思った.とはいえ,自分でやったほうが早いのは間違いない.業績を作ることだけを純粋に考えるなら,テーマを選んでもらわないほうが幸せなのかもしれない.

 

ただ,今の私に限って言えば,学生さんと一緒に研究できる嬉しさや楽しさの方が大きく勝っている.結果的に研究効率は高くなっているように思う.大変おこがましいが,人の成長を見るのは実にワクワクするし,自分の仕事に誇りをもって理路整然と語っている姿を見られると,涙が出るほど嬉しい.対等に議論できた時には,終日上機嫌になっている.また,そういう姿を見たいがために,こちらも一生懸命サポートしようと思う.これがモチベーションになり,アドレナリンの湧出につながっている.私も教員という職業が少しばかりでも板についてきたということか.

 

さらに独善的な観点からも言えば,私は多少なりとも玄人化しているので,少し時間がかかりそうなことだったり,似たような先行研究があるようなものは,優先度を下げてやらずに避けてしまうことも出てきた.その点,これもまたおこがましいが,素人要素の残る学生さんは,自分なりに一生懸命考えを巡らせてくれて,私が気づけなかったことを発見してくれることが最近になって出てきた.これは私にとって,とても貴重である.

 

昨年度の反動からだろうか,学生のいる研究室に足を運びたくなっている.3月ぐらいまではマスクを着けて仕事をするのが嫌でしょうがなくて,個室が欲しいことが,キャリアップを目指す大きなモチベーションの1つになっていた.マスクをつけたくないのは,今も変わらない本音だが(外しませんが),それにも勝って,誰かと仕事をすることの楽しさが大きい.もちろん,そこにモチベーションの源泉を依存してしまうのは実に危険だが,その1つにするのは,教員という立場からしても,悪いことではないと信じている.

 

忙しいぐらいがきっと幸せなので,頭を巡らせて,日々を楽しく,1週間があっという間に過ぎる毎日を作り続けようと思う.学生の皆様,これからもどうぞよろしく.